何かに抗議して服を脱ぐ人は結局脱ぎたいだけ

社会

 世の中には色んな人間がいる。

 社会に強いつながりを持つことに喜びを感じ、物事は自分の考えと行動によって改めて正しくすることができると思っている活動的な人間がいれば、

 僕みたいな、社会から出来るだけ離れることを望み、問題とは解決するものではなく、遠く逃げるものだと思っている無活動的な人間もいる。

 これはどちらが正しいということはないだろうけども、表沙汰になって目立つ人間が前者であること、後者はそれを遠くから眺めていることに間違いはない。

 後者の人間である僕が最近気になっているのは、前者の人間が目的から逸れて、目立てばそれでいいみたいな行動を起こしていることだ。

 例えば、抗議をする手段として、服を脱ぐ人たちだ。

Cornell University Student Strips Down To her Underwear In Presentation to defend her thesis

この映像は、米・コーネル大学で5月5日に起きた騒動。論文を発表している女子学生が突然服を脱ぎ始め、下着姿になってしまう。
実は、彼女は数日前のクラスの発表で助教授から「服装が発表にはふさわしくない」と注意され、抗議する意味を込め5日の発表の場で服を脱いだ。彼女の行動のクラスでも支持する人がおり、当日一緒に服を脱いだという。彼女の抗議が聞いたのか、助教授は自身の発言に対し謝罪したと伝えられている。

the world video https://videoclip.club/belle/26656/

 バッと脱いで、髪をファサーっとする生徒。服装を注意されたから、ということらしいけど、なんで脱ぐ?

 単純に話し合えばいいんじゃないだろうか。自宅で親に反抗してするならまだしも、大学という正に話し合いの場でこんなことするのでは、何を学びに来ているんだという話だ。

 でも確かに、世界にメッセージを伝えるにはいい方法だ。現に地球の裏側にいる日本人の僕(変態)にこの出来事が伝わっている。

 しかし、彼女は”「服装が発表にふさわしくない」と注意され…”とあるように、私の服は発表にふさわしいということを主張している。それ、世界に伝える必要あるか?

 目的が抗議することではなく、脱ぐことになっているように思う。

 一人の世の中の人間として、別に脱いだからと言って、おっ、どれどれとなるわけではない。そこまで餓死寸前ではない。餓死寸前の時でも、この手の動画や画像は、大抵、あ、なるほどとなる。

Femen's Topless Protest Tactics Take on Paris

 こちらはもっと過激な抗議だ。いわゆるトップレスとなり、人前に出て、自分たちの主張を伝えようとしている。

彼女たちは、「女性はものじゃない」「女性に自由を」「イスラム教徒による性的マイノリティー迫害をやめろ」「政治犯を解放しろ」「ムスリム女性、脱ごう」「神は王を吹き飛ばす」「プーチンは泥棒」というようなことを主張している。

 よく意味の分からないことを言っているのは除いて、まともなことを言っているように思える。彼女たちは人権などの大きな人類の問題に立ち向かおうとしているようだ。

 しかし、それでもやはり思う。脱ぐ必要あるか?

 たしかに目立つ。この事件もまた日本人の僕に伝わっている。1つの有効な手段のかもしれない。

 でも、やっぱり、脱ぐ必要はないだろう。

 この人たちは「女性はものじゃない」と言うわりに、自分の体をプラカード代わりにしている。プラカードに書けばいいのでは…?

壁に掲げられた our weapons are bare breasts という文字。 私たちの武器は丸出しのおっぱい、という意味だけど、うーん、それはなんか違うような…

 くじけない精神とか、悪を認めない正義心とか、もっと他に、こう…あるだろう。おっぱいが武器って、それ一番言っちゃいけないこと言っているのではないだろうか。

 また、一人の日本人として、言うと、裸と言うのは普段見えないから価値があるわけで、向こうからやってくるのはなんか違う。

 それにそこに恥じらいがあるからこそ、意味があるのであって、外国人はそれが分かっていない。もっと日本の萌えアニメを観るべきだろう。

しかし、向こうが学ぶことがあるように、日本も学ぶことがあるだろう。やっていることはあれでも、言っていることは正しい。日本人は内向的で、小さなデモはあるものの、大規模なデモが行われることは滅多にない。日本人は彼女たちを見習い、服を脱ぐデモをどんどんやって、どんどん裸になるべきだろう。

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