人生最後に食べたいものが思いつかないのは異常なのか?【最後の晩餐】

生活

 僕は普段ぼーっとしていることが多い。

 なにも考えていないようでなにか考えている感じ。

 そうやって一日を過ごすのが一番楽だ。

 そして、こないだ、たまたま夕食前にぼーっとしていたときのことだ。

 僕は一つのことに気が付き、とても驚いた。

 人生最後に食べたいものがまったく思いつかなかったのである。

 今となってはなぜそんな自問自答をしたのかは謎で、ただ衝撃だけが残っている。

 人生の最後、正直そんなものは想像したくもないけど、そんな瞬間がきたら、最後に何を食べるか。 僕はあれこれ日本食やら世界の美味しいものを思い浮かべたけども、それを人生最後に食べるのだとしたら、まったく食べたくない。

  胃の弱い人間だから、そういう観点からすると、どうせ死ぬのなら、好きなだけ脂っこいものや消化に悪いものを食べたくなりそうなものだ。
 
 でも、やっぱり今考えても、死ぬのなら何も食べたくない。食欲がなくなってしまうだろう。

 皆はどうだろうか。同じように食べる気がしないか、それともなにか思い出の品があったりして心に決まっているだろうか。

 なにか心に決まっている人をうらやましく思う。

 正直、「3秒以内に答えろ!」と急かされたら、とっさに「え!? バ、バナナで」と言ってしまいそうだ。

 一般的に、こういう「死ぬ前に何食べたい」というような質問は、会話の遊びというか、真剣な話ではない。

 だから、食欲が云々いうのは、考えすぎで、空気の読めないところがあるかもしれない。

 しかし、世の中には実際この質問と全く同じような状況に立たされる人がいる。

 例えば、死刑囚だ。

 アメリカでは、一部の州を除いて、希望した”最後の食事”をとることができる(現在日本では食事は選択できない)。

 被害者は最後の食事を選べなかったわけで、死刑囚に対して思いやりなど必要ないと批判されそうな制度だけど、アメリカでは伝統的、あるいは宗教的な関係で、死にゆく者に優しくする風潮があるらしい。

 彼らは、この「最後に何食べたい」という質問を真剣に考え、一体何を注文したのか、その一例を見てみたいと思う。

(c) ヘンリー・ハーグリーブス

 ステーキ、フライドチキン、粉末のジュース、ペカンパイ。

 この食事を注文したのは、リッキー レイ レクター。アーカンソー州で、入場料を請求してきたクラブの従業員を殺害し、出頭すると言ったレクターを迎えに来た警官も殺害した。

 食事内容は、いかにもアメリカという内容だ。ステーキにフライドチキン、ジュースにパイ。日本人だったら、ステーキとフライドチキンを同時に食べることはないだろう。

 レクターは、パイだけを残し、こう言った。

 「後で食べる」

 こわっ…!

 とんでもなくクレイジーだ。まるで漫画のキャラクターである。

 しかし、レクターは事件直後に自らの頭を撃って障害を負ったので、その影響もあるかもしれない。

 やはり、世の中には理解できないほどヤバい人がいる。

 なんだか増々食欲がなくなってきた。

 もしかすると、こういった話題はあまり考えすぎないほうが良いのかもしれない。

 考えれば考えれるほど、思いつかなくなってくる。

 つまり、思いつかないのが異常なのではなく、そもそも真剣に考えることが異常なのかもしれない。別にアメリカで死刑を受ける予定があるわけでもないのだから。

 少し話題を変えて、有名な絵画に「最後の晩餐」というものがある。

最後の晩餐

 レオナルドダヴィンチが描いたものだ。

 これはイエスキリストが十字架にかけられる前に、弟子てきな人たちと晩御飯を食べているところらしいけども、僕だったら、最後の食事をこんなに大勢で食べたくはない。

 人生最後に何を食べたいかは分からないけど、最後くらいは、一人でゆっくり食べたい気がする。いや、いざ最後となると誰かと食べたくなるのか。

 う~ん…

 やっぱりこの話題はあんまり真剣に考えないほうがよさそうだ。

 よく、「毎日を人生最後の日だと思って生きなさい」とかいう人がいるけども、本当にそう思って生きたら気が狂うに違いない。その人だって言っているだけだろう。

 
 でも、毎回最後の食事だと考えるくらいなら、すごくありがたみが感じられそうだ。

 そう考えると、僕は最後にはバナナかヨーグルトを食べたい。胃弱人間の僕にとって消化のしやすさこそありがたみであるから。

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