必要なのは息抜きではなくアク抜き

生活
とりあえずうまいことを言いたかっただけのように思われるかもしれないけど、そうではない。すべての人に息抜きが必要なようにニートにだって息抜きが必要である。しかし、社会人からすれば僕らの普段の生活全体が息抜きのようであり、「ちょっと明日は息抜きするか」と言いでもしたら「ん?」と言われることだろう。つまり、ニートは息抜きという言葉を人前で使いづらい。
いざというときのために普段からニートのストレスとは何か、365日休息人間にとって休息とはなにかを考えるべきだと僕は思った。

365日休息というストレス

 オーバーワークによるストレスが存在するなら、オーバー休息によるストレスがあってもおかしくない。自分の無力感、親からの圧力、近所の目、オーバー休息によるストレスは余りある。そして、それらは自業自得だとして解決を他人にお願いすることもできず、「じゃあ、ちょっと横になるか」と言えば、「いつも寝てるのに?」と贅沢は敵というような目で見られる。
 社会人のストレスは友人や恋人とのコミュニケーションで解消することができる。しかし、オーバー休息によるストレスはそうはいかない。よっぽどの聖人でもない限り、同情はしてくれないだろう。
 オーバー休息によるストレスは、ぶくぶくと毒が噴き上がり、体をゆっくりとむしばんでいくような感覚を呼ぶ。それは僕らでさえ矛盾を感じているからだ。休息すればするほど感じるストレスとは一種の逆流であり、どうしようもないように思われる。

アク抜きの方法

 オーバーワークによるストレスは心身共に負荷がかかるが、オーバー休息は、寝返りさえ出来れな、心への負荷だけですむ。ということは、考え方次第で解消できるということだ。
 まず第一に休息が逆流しているという矛盾を認めるべきだ。そして、休息よるストレスを休息で解消しようとし、またストレスが生まれるという悪循環があることを考える。FPSをやっていて、むかついて投げたコントローラーをまた握りなおしてしまうのと同じ現象である。
 そしてできる限り自分の存在を整理してみる。自分は他人にどう見られたいのか、そしてどう見られているのか、どれだけ許してもらいたいと思っているか、また許してあげようと思っているのか。そうすると大抵、自分よりも他人の方が、間違っているし、優しくもなく、汚れていると思う。でなきゃオーバー休息をするハメにはなっていないからだ。
 そうして不公平感から浮かんだ悪い感情を半分だけ良くないものとし、もう半分を残してよいものとする。あく抜きしすぎた料理が風味を失うのと同じ。そうすれば、自分だけ捕まったような不公平感を感じにくくなると思う。

好きなものを大人になっても好きな人間

 好きなものを大人になっても好きな人間というのはなんとなく「周りの目なんか気にしてねえぜ」という顔をしているけど、実際、内心ではすごく気にしているように思える。そうやって自分の存在をリアルタイムで整理しているのだろう。そういう試みは息抜きと言うよりは、あく抜きと言えるかもしれない。

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