ニートの間に出来ることよりも出来ないことのほうがよっぽど多い

時は金なり 生活

 突然だけど、皆は急に自分が何をしたいのか分からなくなるということはないだろうか。

 早起きしようが、夜更かししようが、やることなすこと昨日と変わらず、昨日は今日、明日は今日のコピーアンドペーストだ。

 確かにやろうと思えば、やれることはいくらでもある。今の時代、手本はいくらでも周りにあるし、そこに付け足すアイデアだって1つや2つある。

 でも、最終的にやるかどうかと言えば、結局やらない。ぬるま湯に浸かっているように無気力になる。

 いくらでもふにゃふにゃになれる。どこまでふにゃふにゃになれるかは人の資質によるけども。

 このことを僕はずっと不思議に思っている。なぜ人は無気力になるのか。

 鬱と無気力の境界線というのはどんなものなのか。

 分かりそうで分からない。それにそもそも考えているようで考えていない。

 なにか曖昧なことばかり言っているけども、つまり今でさえ、それだけ無気力なのである。

 ニートだから無気力なのか、無気力だからニートなのか。

世間はニートというものを勘違いしている

 実はこの無気力という状態を一番分かっていないのは、ニートではなく世間である。

 この世の中に存在する“社会人とニートとの溝”はこのために深くなっているのではないだろうか。

 まず、世間一般がニートに対して思うのは「なぜ働かないのだろう」ということだろう。

 それは理由が人それぞれあるために置いておくとして、二番目の疑問は「もっといろいろしたらいいのに」ということだろう。

 俺だったら長い旅行をするね、とか、それを機にしっかり勉強をする、とか言う。

 たしかにその通りだと思う。僕もニートになる前は、もしニートになったら日本一周旅行しようとか、英語の勉強をしようとか考えていた。

 しかし、いざこういった身になると、外にさえ出ない、何もする気にならない。

 行動が正解だと頭で分かっていても、体は動かないし、極まると“本当に正解なのか?”という拒絶さえ起こる。

 僕が思うにそこには“ニートだから無気力”という前提があり、行動を起こしてしまったら、自分がニートでなくなってしまう、ニートでなくなったらそれこそ何者でもなくなってしまうという恐怖があるんじゃないだろうか。

 これはごくわずかな心理だけども、とても重要な気がする。

 このことを社会は到底理解できないだろう。せめてニートと無気力と言うものは靴の裏に張り付いたガムみたいにくっついて離れないものだと分かってもらえたらいいなと思う。

ニートの自由という不自由

 日本人は、制限のある中で創意工夫するのが得意だと言われているけど、この法則はニートにも当てはまる。

 ニートは膨大な時間と身の自由を持っているけども、それらにまるで制限がないために創意工夫がはかどらないのである。

 今日できることは明日できるし、選択肢が無数にあるために最早選択肢がないように見える。木を隠すなら森状態で、選択肢とはただの背景に過ぎない。

 だから仮に制限さえあれば、やる気も少しは起きるし、選択肢も見えてくるのではないだろうか。

 例えば、日本政府が1日3時間しか外に出てはいけませんという法律を作ったとしたら、おそらく僕は三時間、目一杯外に出るだろう。

 今住んでいる都道府県から外に出てはいけませんと言われたら、出てみたくなる。

 人間やってはいけないことをやりたくなるもので、無職が犯罪をしてしまうのは犯罪が唯一やってはいけないことだからというのも少しはあるかもしれない。

 そう考えると、本当にやってはいけないものをやってしまう前に、自分なりのやってはいけないものや制限を考えておけば、創意工夫がしやすくなるのではないか。

 と思って僕はこないだから「掃除は1日5分まで」とか「アダルトサイトは30分」という制限を作ってみたのだけども、それなりに創意工夫がはかどり、なにかしら向上した、ような気がする。

 今はやってはいけないことをやってしまうのを利用して”お前は外に出てはいけない”と心に言い聞かせているところだけども、”うん、わかった“という返事が聞こえてきている。

 でも、そんな感じなら、その分、部屋で出来ることだけに集中して、いろいろやっていければいいんじゃないか、と少し前向きになった。

ニートは誰よりも金持ちだけど

 ニートには膨大な時間がある。どんなに偉くて、金持ちの人だろうと、ニートに単純な持ち時間で勝つことは出来ない。“時は金なり”であるからニートは誰よりも財産を持っていることになる。

 しかし、それを活かす、というのは嫌いだ。だれにだってできることとできないことがある。じゃあ、そのできることを活かせ、ということもなんだかしたくない。そりゃ活かせるものはいかしたほうがいいのかもしれないけど。

 何でもかんでも活用しろと言う人は、“時は金なり”という言葉を時間があればその分働いてお金に換えられる、という意味合いでとらえてしまっている。

 それはそれでポジティブな考えでいいのかもしれない。しかし、何でもかんでもお金に換えて、株にも自分にも投資して、突き詰めたときに一体何が残るのだろうか。

 無理にポジティブに捉えたことは、時間がたてば消えてなくなる。自己啓発本の内容を読んで三日で忘れるのと同じだ。

 だから、事実だけを覚えておきたい。自分は膨大な時間を持っている、でも出来ることより出来ないことのほうが多い、それだけ。それ以外のことは考えない。それでいいんじゃないか。

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