辛い時に聞こえる他人の笑い声

人間関係

 つくづく人は他人に無関心であると思う今日この頃。そう思うのは人に関心があり過ぎるからかもしれない。ファミレスなんかに行ったときに他所の席の話ばかり気になってしまう。厨房で皿同士が擦り合う音なんかも耳に障る。逆に何故か、通路で皿が割れてもそんなに気にならないし驚かない。こういう人は世間では鈍感な人間だと言われるけど、そうではないと思う。敏感過ぎて、頭の中ですぐにそれが皿の割れた音だと分かり、わざわざ振り向く必要がないのである。また、わざわざ振り向かないのは、そうやって振り向いてじろじろと見るのは、どこか皿を割った人に悪い気がするからというのもある。
 
 それだけ人に関心があると心も疲れる。よくあるのが、どこからか人の笑い声がすると、なぜか「僕のことを笑っているんじゃないか」と思ってしまうことである。大抵はそんなわけない、思い過ごしだと落ち着くが、ちょっと不調の時だと、笑っているかもしれないと思うし、そう思わなくても、どこか不快に感じる。特に高い音だったりするとよりしんどい。

聴覚過敏

 こういった日常の物音が不快に感じる現象を聴覚過敏というらしい。これは鼓膜などの耳の器官が炎症を起こしているという物理的な要素もあるらしいけど、どちらかといえば、心理的な要素だろう。僕の場合、人の声や食器の擦れる音、アナウンス、どれも人が原因の音である。皿の割れる音がした時にそれがすぐに誰かが皿を落としたのだということと、本人の羞恥心を想像してしまうように、それぞれに原因の音に人の意思を感じてしまっているのだ。

対処法

 単純に言えば、考えすぎるなということだろう。しかし、考えすぎるな、といわれて考えすぎないのは不可能である。考えすぎない、と心で意識している時点ですでにその人は考えすぎてしまっている。全般的に言えることだけど、考えすぎている人に考えすぎるなと言うのは逆効果で、「それができれば苦労しねえ」という話だ。
 聴覚過敏に対しては多少の方法がある。まず、うるさい場所に行かないということ。そしてどうしてもそういった場所に行かなければならないのなら、イヤホンやヘッドホンをして音楽を聴くのが良いと思う。映画なんかうつ病の人が常にヘッドホンをつけていたりするのは、彼らなりに対処しているという表現なのだ。また、過敏な状態で、どうしても行かないといけない場所で、イヤホンやヘッドホンをしてはいけないのであれば、とても危険な状態にいるということになる。赤いサイレンの鳴るレッドゾーンみたいなもので、実際そんな風に見えているかもしれない。それは自律神経の問題であるので、イヤホンだのヘッドホンは大怪我に絆創膏を貼るようなもので意味がない。早急に別の対策をするべきだろう。

個人的な思い

 こういった時の不快感、緊張感、焦燥感は総じて他人の無関心が原因であり、普段は無関心な人間に急に知ったようなことを言われたときのフラストレーションによって生まれる。そして他人への期待もなくなって心閉じるのだ。それはしょうがないことだし、どうしようもないことだと思う。だから治療なんかはしなくてもいいかもしれない。なぜなら、根本は人の無関心であり、それはどうしようもないのだから。ひょっとしたら、そういった諦めから少しずつ余裕ができてくるかもしれないし、とは思う。

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