右手と左手が闘ったらどっちが勝つか

右手と左手の闘い 生活

 最近、ハマっていることがある。

 それは、昔の記憶を掘り起こすこと。

 一日中家の中にいると、一度は究極的に暇になることがあり、そういうときにこの作業を行う。

 もっぱら掘り起こすのは劇的な思い出ではなく、平凡で孤独な少年だった自分の日常。

 特に究極的に暇だった時間。

 例えば、小学校から帰ってきてから夕飯までの時間や、布団に追いやられてから寝るまでの時間、

 昔の自分はそのとき何を考え、何をしたのか。

 こういう記憶は、かすかにではあるけど意外と脳に残っている。

 牛乳をいくら水で薄めても、そこから牛乳がなくなることがないように、記憶はいつまでも残る気がする。

 基本的に僕は、ゲームばかりしていた。テレビの都合で出来ないときは、布団を頭まで被り、脳内に画面を映し出して続きをやっていた。

 そんな中、唯一ゲームから離れる時間があった。それは風邪をひいたときだ。

 休養中はゲームや漫画が禁止になり、ただひたすらおとなしくしていなければならなかった。

 脳内に画面を映し出すことさえ、あまりにも上手く出来るようになっていたせいか、純粋だった僕は律儀にもそれをゲームの一部と考え、自制していた。

 限られた自由と膨大な時間。ただ横たわっている自分。

 そうして究極的に暇になった僕はこう考えた。

 右手と左手が本気で闘ったらどっちが勝つんだろう?

 めっちゃ馬鹿である。

 実は昔の自分には暇になると両手を闘わせてしまう癖があり、

 特段、病床で行われた。

 これは怪獣とウルトラマンを闘わせるような幼年の名残りが、病弱な心に表れるという現象で、つまり幼児退行だ。

 傍から見れば、貧しく悲しい光景だけども、今になれば微笑ましく思える。

 というか、今もする。

 ともかく、その少年は、「あれ、本気で闘ったらどっちが勝つんだ?」と思った。

 その闘いはミラーマッチであり、プレイヤーは同一人物。

 予定調和でなければ、決着はつかない。

 「自分のさじ加減じゃん」

 この疑問は病人特有の投げやりな解答で終わり、

 大好きなゼリーかなんかが運び込まれてくると、どうでもいいことに変わった。

 今日は、そんな記憶を思い出したことを記念して、知恵を絞って子供の自分が解消できなかったこの疑問にしっかりとした答えを出したいと思う。

 当時には無い知恵を使えば、正解が出るはずだ。

 まず、自分の手を敵として見てほしい。そうすると弱点が浮かび上がってくる。

 そう、関節。人間の手にはあまりにも関節が多すぎる。

 つまり、ありきたりな打撃ではなく、関節技が有効なのだ。

 これは子供には思いつかない。ちょっと得意げ。

 試合開始と同時に全力で敵の一本の指を掴みにかかる。そして全力で逆方向にへし折る。

 絵にするとこんな感じ。

 この技をくらった手は確実に死ぬ。しかし、これは本気の闘いなので、容赦してはいけない。どちらの手を失っても構わないという勇気も大切だ。

 とにかく最速でへし折る。これが最強。

 問題はどっちが先にへし折るか。

 ちょっと軽くやってみてもらえると分かるけど、

 同時に両手が指に掴みかかると、どちらかを優先してしまうか、もやっとぶつかる。

 というか、お互いの手は脳でつながっているので、作戦は常にだだ漏れ。決着はつかない。

 それにこの勝負には絶対に負けない方法がある。

 それは、相手とは反対側に思いっきり手を伸ばすこと。人体の構造上、絶対に届かない。

 もし、右手と左手が同時にこの作戦を行った場合、その人は十字架にはりつけにされたイエスキリストみたいになってしまう。

 まあ、つまり

 結局、あれ

 自分のさじ加減

 …。

 同じ結論に至る。

 そっと胸にしまっておけばよかった。

 これを書いた時間と、読んでくれた人の時間を無駄にしてしまったことをとても後悔している。

 せめて無理やり別の結論。

 まず、自分と闘ってはいけない。

 そして

 右手と左手が闘ったらどっちが勝つか。

 利き手が勝ちます。

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