【症状】ゲーム依存症の治し方 やめる、やめさせる方法【定義】

生活

ゲーム依存症の治し方 やめる、やめさせる方法

 ネット・ゲーム依存外来を開設したある精神科専門医は、ネットメディアのインタビューに対し、ゲーム漬けになっている、いわゆる「ネトゲ廃人」といわれる患者が全く来ないのが想定外だったと答えている(1)。

 ゲームに依存している人は、外出するのを極力嫌うし、それが病院となればなおさらだ。

 僕自身もゲームを買いに外に出かけることすら今はなく、ましてやゲームをやめるために病院へなんて、いくらプリペイドカードを貰っても行かない。

 このようにゲーム依存症に関する知識や心理というのは、専門家ですら分かっていないところが多い。

 本来、治療というのは、自己流で行わずに専門家、つまり医者の指示に従うことが重要であるけど、理解が不足している現状では、医者だからと信じ切って頼り切るのは危険だ。

 医者の組んだどんなカリキュラムよりも、「ゲームは一日一時間」という格言のほうが効果的であることがあってもおかしくはない。

 なぜ効果的かと言うと、それが16連射の使い手、高橋名人の発言だからである。

 誰が言ったかで物事の良し悪しを決めるのは、あまりいいことではないけど、今回に関してはゲームの名人が言うからこそという面が大きい。

 何が言いたいかと言うと、治療に何より大切なのは、「理解」であるということだ。

 とにかく、理解し、理解される。これが一番重要である。

 冒頭で述べたように、専門家ですら理解が不足している現状では、理解こそが何よりの薬になる。

 では、一番やってはいけないことは何か?

 それは何も考えずに一方的にゲームを禁止することだ。

 たしかに一方的にゲームを取り上げたり、隠したりするのは、伝統ある対処法ではあるけど、最善の手とは言えない。

 理解してくれない人の行為を受けた人間が、その動機を理解しようと思うはずがない。

 また、ゲームとは別の生きがいをすり替える方法もまた、ポピュラーであるけど、これもあまり効果的ではない。

 ゲームとは驚きとの遭遇である。予想だにしないストーリー、達成感、己の創意工夫の果て、そういうものをプレイヤーは求めているし、依存している。

 そこに分かり切った目的、ゲームを取り上げる、そんな意図が見え透いた人間の言うことはあまり信用ならない。

 だから、大事なのは、いかにその素振りを見せないか。

 ゲーム依存症なんて大げさだと理解し、治療なんてする気はないという素振りをする。

 ゲームに依存している人だって自分が依存してるとは思いたくない。

 もし、ゲーム依存症が存在しないと強く思うことができれば、その人はそれを証明するために自然と自制をし始める。

 また、驚きという点も大事だ。

 ここに一つ例を出そう。

 あるところにネットゲームにハマった少年がいた。

 人間関係がきっかけで地元の少年野球チームを辞め、生じた暇な時間をつぶすためだった。

 彼はmmorpgにハマり、部屋から滅多に外に出なかった。

 ある日、一年以上所属しているギルドで、リアルの話が盛り上がり、オフ会を開くことになった。

 彼は一度は断ったけど、そのギルドのメンバーが素晴らしい人たちだったので、しぶしぶ行くことにした。

 オフ会は河川敷で行われた。草野球をするためだ。

 彼は、ギルドメンバーのそれぞれの素顔に驚く。年齢も性別もバラバラ。なにより、初めて会った気がしないのに驚いた。

 彼は誰よりも野球がうまく、メンバーはおそろしく野球が下手だった。

 それでも皆笑っていて、少年も笑った。

 少年は本当の野球の楽しさと人生の意味を知った。

 これは僕の身に起こった実際の実話……ではない。

 そうだったらすごい良かったんだけども。

 これはネット上によくある話で、フィクションだ。

 この話の少年が最後にネトゲをやめるかは分からないけど、おそらく悪いことにはならないだろう。

 この話の最大のポイントは、「驚き」である。

 人の素顔に驚き、人といる楽しさに驚く。

 驚きが考えを変えるきっかけになり、ゲームよりも楽しいことがあるのに気が付く。

 これは言葉だけでは伝わらないことであり、実際に体感する必要がある。

 依存症対策キャンプはこの体感に注目した取り組みだ。

 ゲーマーこそが誰よりもゲームと現実が違うことを知っている、だからこそ言葉ではなく体感が必要なのである。

 だからゲーム依存をやめる、やめさせたいのなら、「驚く」「驚かす」のが効果的だ。

 そういう意味では、ゲーム依存の専門外来は、殺風景な病室と白衣で患者を迎えるのをやめ、フィギュアを飾り、患者の座る椅子をゲーミングチェアにするべきだ。

 これはふざけて言っているのではなく、マジで言っている。

 理解し、理解してもらう。驚き、驚かす。これがゲーム依存症の治し方だと思う。

(1)参照元 m3.com 「社会問題化するゲーム障害、兵庫県の総合病院で初の「ネット・ゲーム依存外来」を開設―曽良一郎・神戸大学医学部付属病院精神科神経科診療科長に聞く◆Vol.1」https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/670950/ [検索日 2019年7月21日]

ゲームはやめる、やめさせるべきか 

 ゲーム依存はやめるべきだけど、それをゲームをやめると同列に考える人がいる。

 本当にゲームというのは一切関わるべきでないものなのか。

 まず、ゲームをやめる、やめさせるべきかを考えるにあたって、2つの考えるべきことがある。

 まず、ゲームというのは、現代においては立派なコミュニケーションツールで、特に子供同士の交流には欠かせない。

 ゲームを買ってもらえず仲間外れにされる子供を何度も見たことがあるし、僕自身輪に入れなかったこともある。

 ゲームとの関係を断ち切ることばかり考えるあまり、人間関係が断ち切れることを考えられずにいるのが一番良くない。まず、そこは把握しておかなければならない。

 次に考えるべきこと、それは依存というのはある意味それが生きがいになっているという点についてだ。

 生きがいというのは、つまりそのために生きているもの、ということであるから、単純にそれをやめてしまう、取り上げるということをすると、当然その人は生きる意味を失う。

 別の生きがいを見つけられれば、それでいいわけだけど、人が依存していたものが急に無くなったときに、すぐに別のものを見つけられるとは考えにくい。

 例えば、これは比較にならないと感じる人もいるかもしれないけど、家族を失った人がまた新たに家族をつくるなんてすぐには考えられない。

 ゲームとはいえ、依存している人にとっては、立派な生きがいなのである。

 生きがいを取り上げたら、当然、その人は生きる意味を失う。

 やめるはまだしも、やめさせるという行為は人の生きる意味を奪いかねないことだと肝に銘じる必要がある。

 ゲームをやめる、やめさせるを考えるときは、遠い将来のことを考えるのではなく、明日のことを考えなければならないのだ。

まとめ

 もしゲームが進化を続け、現実の代わりを務められるほどになったら、ゲームにのめり込むことをゲーム依存症と呼べるだろうか。

 例えば、ゲームの中で、働けるようになったら? ゲームの中で結婚し、DNAよりも高度な遺伝システムで高度な人工知能を育てられるようになったら?

 そうしてゲームが客観的に現実より優れたものだと評価されるようになったら、人々は現実を生きるのか?

そんなゲームができるのがまだ先だとしても、そんな明日が来なくても、生きる意味を見出した、それがゲーム依存症である。

 ゲームに依存するあまり、不登校になったり、家族との関係が悪化したりする、と世の中は考えている。

 それは違う。

 不登校になったり、家族との関係が悪化したりするあまり、ゲームに依存するのだ。

 間違ってもここを勘違いしてはならない。

 この記事が少しでも役に立つことを願う。

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