ゲーム依存症

ゲームを夜通しでするニート 未分類
ゲームを夜通しでするニート

僕の生活に不可欠なゲームというアイテム。一般的に世間はゲームやアニメを目の敵にする風潮があり、時代が多少寛容になってきたとはいえ、人前でゲームが趣味です、と言いづらい(そもそも人前に出ないけども)。
2000年代、ゲーム脳なるものが取り沙汰されるようになり、親にはよく「ゲーム脳になるぞ」とよく言われた。子供心に浮かんだのは、脳がどんどんゲーム的ななにかに侵食され、ゾンビみたいになってしまう光景だった。それでも僕はゲームを続けたので、ある意味、ゲーム脳と言えばゲーム脳なのかもしれない。

 最近では、ゲーム脳という言葉はまやかし、科学的根拠に乏しく、本を売りたい自称脳科学者のねつ造であるというのが、大多数の考えになってきた。「夜に口笛を吹くと蛇がやって来るぞ」というのと同じ、都合のいい言い伝えとして未来に語り継がれることだろう。

 しかし、僕が部屋に引きこもりゲームばかりしている絵面が変わるわけでもないし、日々のゲームが何か将来に役立つかと言われるときっと黙ってしまうだろう。僕らはそう聞かれたときに、名作はいつまでも心に残るとか、eスポーツで何千万と稼ぐプロゲーマーがいると言い返すこともできるが、言い返せば言い返すほど「なんでそんな必死なん? ゲーム脳?」と思われてしまう。僕らはぐっとコントローラーを握りしめ、たまったストレスをFPSで発散するしかない。
 

大きく考えると、人生とは楽しくあるべきという大前提がある。そして後悔がない、というのが模範である。確かにゲームは刹那的な楽しさであるが、永遠に繰り返せば人生を通しての楽しさとなる。刹那的なのは花火と同じであるから問題ではない。あとは「俺は後悔しない、後悔しない」と言い聞かせればいいのだ。こうすれば、ゲームは人生であり、人生もまたゲームと言える。

 昨年、WHO(世界保健機構)がゲーム依存症をゲーム障害として認定した。来月の会議で正式に決定されるらしい。そうなると保険とかもおりるとか。こうなると大変なことになる。今までは風邪で学校や仕事を休んだ時のお供だったゲームが、それ自体が病欠の原因と成りえてしまう。確かにニュースで海外のプロサッカーチームの選手が試合まで夜通しでゲームをしていたというのをこないだ見た。プロサッカー選手なんていうのはサッカーしか興味ないぜ!という人たちであるから、ある意味病気になったと言えるかもしれない。そういう人たちにとっては支障になるから病気としてもいいかもしれないが、ニートにとっては夜通しでゲームをすること自体が生活であり、ある意味、健康そのものといってもいいかもしれない。あかん、ゲームやるのしんどなってきた、というのはニートにとって危険信号だと思う。

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